鳶山崩れ

五色ヶ原から見る鷲岳(20617)と鳶山(2616m)は,どちらも穏やかな山に見えますが,その西側(鷲岳は北側も)は断崖になっており,五色ヶ原側とは全く異なる山の様相をしています。室堂から五色ヶ原へ向かう途中,五色ヶ原の手前正面に見える崩壊地は,鷲岳の北側になります。鳶山の崩壊(跡)については登山道からは見えないので,その存在はあまり知られていませんが,鳶山の崩壊は大災害をもたらした歴史があります。

江戸時代末期に起きた,この鳶山の大規模な崩壊は,現在も続く日本屈指の砂防工事に繋がっています。優雅に見える鳶山ですが,鳶山崩れと砂防の歴史について振り返ってみたいと思います。

鷲岳の北側の崩壊(中央のなだらかな山が鳶山)

鳶山崩れ

この鳶山は安政5年(1858年)に起きた越中・飛騨境の跡津川断層を震源としたいわゆる飛越地震によって山体が崩壊して,その大量の土砂が直下の真川・湯川の流れを堰き止め天然のダムを形成しました。その崩壊跡が大鳶崩れ跡と小鳶崩れ跡として今も地形図で確認することができます。

地形図(国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/)
拡大地形図1(国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/)
拡大地形図2(国土地理院:https://maps.gsi.go.jp/)
衛星写真(拡大地形図2)by Apple Maps

立山カルデラ内を流れる真川・湯川を堰き止めた崩壊土砂(鳶泥)の総量は約4億㎥と推定されます。堰き止めで出来た天然のダムはその後2ヶ月の間に2度にわたって決壊,流れ出た土砂は富山平野を土砂で埋めました。その後も鳶泥は豪雨の度に土石流となって下流域を襲い土砂災害を引き起こしました。そして今なお約2億㎥が立山カルデラ内に残っており,これが一気に下流の富山平野に流れ出すと平野全体を約2mの土砂が覆う量であるといいます。

砂防堰堤(土砂災害との戦い)

今もカルデラ内の残る堆積した崩壊土砂の流出から私たちの生活を守るために,1906年(明治39年)に富山県が砂防工事に着手して,1926年(大正15年)からはその砂防事業を国に移管して,その砂防工事は120年後の現在も続いています。

立山カルデラに堆積した土砂を一度に流れ出さないように,常願寺川上流には多くの砂防堰堤が築かれています。

日本屈指の砂防工事の中で,代表的な砂防設備として白岩砂防堰堤があります。この堰堤は,砂防事業が国に移管されて間もない1929年(昭和4年)に護岸工事が着手され1939年(昭和14年)10年の歳月をかけて完成しました。この白岩砂防堰堤は本堰堤と7基の副堤から構成され,合わせた落差は108mにもなり,日本一の高さを誇る大規模な堰堤です。

白岩砂防堰堤(本堰堤は最上部)

この白岩砂防堰堤は,不安定な崩壊土砂が約2億㎥堆積する立山カルデラの出口となるところに作られており,この流域の砂防計画の要石となる砂防施設です。この白岩砂防堰堤は富山平野を土砂災害から守り続ける国土保全施設として歴史的な価値が認められ2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定されました。

最後に

室堂から五色ヶ原へのルートは,この立山カルデラの縁を歩いてくることになります。五色ヶ原への途中,浄土山や獅子岳,ザラ峠などから立山カルデラ内の真川・湯川流域が見渡せます。100年以上も前から続くこの流域の砂防工事,現在も下流域の安全を守るために多くの工事関係者が働いています。

立山駅から徒歩一分のところに立山カルデラ砂防博物館があります。鳶山崩れや砂防についてより知りたい方は,是非訪れてみてください。見どころ満載,オススメです。

※砂防堰堤がある真川・湯川流域は工事関係者以外は基本的に立ち入り禁止となっています。なお,堰堤等の写真は,立山町主催の白岩砂防えん堤視察歩行会に参加した時に撮影しました。

【参考文献】
・『立山の砂防〜日本近代砂防の原点〜』国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所
・『白岩砂防堰堤〜防災機能の保存と文化財産的価値の保存〜』国土交通省 北陸地方整備局 立山砂防事務所