五色ヶ原の地形・地質
五色ヶ原ができるまで
大陸ではネアンデルタール人が活躍していたころの今からおよそ20万年前、五色ヶ原の付近には活発な火山活動があったと考えられています。火口の位置をずらしながら数万年の間隔で噴火し、そのたびに溶岩や火砕流などが流れ出しました。この火山を「立山火山」といいます。五色ヶ原の北西には「立山カルデラ」と呼ばれる巨大なくぼ地があります。ここに「立山火山」の噴火口が複数存在していたと考えられています。(この巨大なくぼ地は、以前は火口の陥没によってできたものといわれていましたが、最近の研究では谷の浸食作用がくぼ地の形成・拡大に大きく関与したと考えられています。現在も「立山カルデラ」の浸食は進んでいます。)
五色ヶ原の緑の下は主にこの「立山火山」の溶岩が堆積しています。堆積したのはおよそ10万年前のことです。その後の氷河作用や火山活動で、溶岩台地にさらに土壌が積もり、植物が芽生え、やがて今私達が見るような高山植物が咲き競う美しい「五色ヶ原」へと姿を変えました。高山植物、この美しい「主(あるじ)」に、ここを訪れる人々は大いに魅了されることでしょう。また、溶岩台地にできた水溜りでは植物と昆虫の生態系が生まれ、いまや花に縁取られた池塘となって、高原に一層、潤いを与えています。そして、氷河期からこの五色ヶ原に生き続けている雷鳥は今日までの五色ヶ原の移り変わりを見続けてきたに違いありません。
カルデラを挟んで北側の室堂、弥陀ヶ原高原、地獄谷も「立山火山」が生み出した地形です。室堂のみくりが池は爆裂火口のあとであり、弥陀ヶ原も火砕流が積もってできた台地です。室堂も弥陀ヶ原も、五色ヶ原と同様に高山植物に覆われる美しい高原です。一方、地獄谷では硫気を含んだ蒸気と熱水が今も激しい勢いで吹き上げており、「立山火山」の現在の活動を間近で見ることができます。
*注:「立山火山」といいますが、いわゆる立山三山(雄山、大汝山、富士ノ折立)をさすものではありません
五色ヶ原の地質
溶岩台地である五色ヶ原は,火山活動によって次のような成層構造で形成されています。
- Ws1(鷲岳下部溶岩)安山岩溶岩
- Ws2(鷲岳上部溶岩)安山岩及びデイサイト溶岩
- Sp(称名滝火砕流堆積物)
- Zr(ザラ峠溶結火砕岩)
- Goy(御山谷花崗岩)
【参考】
地域地質研究報告「立山地域の地質」平成12年/産総研 地質調査総合センター(地質調査所)
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_10030_2000_D.pdf